PRESS RELEASE

 2014年5月5日。満員の下北沢Club251にあの曲たちが響いた。それは新たなスタートを決めたバンドと、ずっと好きでい続けたファンたちとの、温かな交感がそのまま音になったような光景だった。

 1997年にシングル「ときめき」でデビューしたCURIOは、楽曲のその確かなクオリティで着実に人気を得ていった。アレンジに逃げない、ギター1本で弾いてもくっきりと立ち上がるメロディ。甘酸っぱい青春の1ページをまっすぐ切り取った歌詞。それは小手先の技術や知識などでは生み出すことができない、足元の確かな才能の賜物だった。この日のライブでもそれらはてらいなくきちんと演奏され、新曲と並んでも少しも古びてはいなかった。そして4曲披露された新曲たちは、どれも曲の粒立ちがよく、見えてくる景色がはっきりしていた。この2014年にフォーカスが合っていた。かつてのCURIOを裏切らずに”今のCURIO”を見せるという、休眠していたバンドにとってはとても難しいハードルを見事クリアしていた。

 2003年の解散後、12年10月にNOBの地元・小松で一夜限りの再結成ライブ。ステージに立ったのはNOBとAJ(AJA改めAJ)のみだったが、AJがNOBにまた一緒にやることを持ちかけてからNOBの心が決まるまで、丸1年を要したのだという。リーダーでメインソングライターのAJは、かつてCURIOをいちばん先に辞めた。そのAJが望んだ再結成だった。

 「俺の中では20世紀のCURIOと21世紀のCURIOはまったく違う」と言うAJは、CURIOの楽曲への想いがシンプルでストレートだ。やっぱり自分の曲をNOBに歌ってほしかった、自分の曲を理解して歌いこなしてくれるのはNOBしかいない、とも言う。「でも、昔よりずっとラクに楽しめると思う」。しかしNOBは、かつて自分がしてしまったことでバンドが崩れたことを心底悔んでおり、「俺が歌っていいのだろうか、ってずっと思ってた。今もちょっと思ってる」と申し訳なさそうに笑う。SHOW SKAなどで歌ってはいたものの、「CURIOは別。CURIOだけは絶対に別」と言い切る。当初は参加を拒んでいたBRITAINは、昨年のライブを見て「これは自分がやらなきゃいけない」と感じたのだそうだ。CURIOというバンドそのものへの想いは少しずつ角度が違うが、3人は同じ方向を向いている。

 「粉雪」が始まれば、それぞれの脳裏に思い出がよみがえる。私は立ち見があふれた渋谷公会堂で初めて聴いたときの衝撃を思い出す。ライブが始まってすぐは前方しか上がっていなかった手の波が、ラストの「君に触れるだけで」では最後部にまで来た。それは懐かしさだけではなく、単に”いい楽曲”を聴いたときの当たり前な反応にも見えた。NOBがあのハスキーボイスで煽る。幸せそうな笑顔が応える。ミュージシャンもたくさん見に来ている。アンコールのラストは「ひまわり」。以前はトラメガでコールするイントロダクションだったが、今はこの大切な曲を染み渡らせるように始める。埋もれさせてはいけない曲の存在。自分の人生でとても大切だった一時期を慈しむこと、抱きしめること。CURIOの音楽にしかできないことがあるのならば、それはやらなければいけないだろう。再始動という、幸運な旗の下で。

佐々木美夏

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