連載インタビュー第3回「再結成後のCURIOが目指すもの」
第3回:再結成後のCURIOが目指すもの
(取材・文/西廣智一)
──CURIOの活動を再開させたとき、ただ昔の曲を演奏するだけではなく新曲を作って演奏することを最初から考えていたんですか?
AJ はい、そうです。
NOB きっかけはAJからだったんです、「もう一回やろうか」って。AJが持ってきた曲がきっかけで、それをまず最初に2人で録音して。その時点ではCURIOのために作った曲ではなかったとは思うし、単にAJが作ってきたものを僕が歌わせてもらう感覚だったんです。デモでもらった曲の中には別の方が歌ってるバージョンもあって、「めっちゃいいやん! これでいいやん!」と思ったんですけど、それを改めて僕が歌うことで「CURIOの曲」になるんだなってことを、そこで再認識できたんです。
──AJさんがCURIOの曲を書くというよりは、AJさんが書いた曲をNOBさんが歌いBRITAINさんがドラムを叩くことで、それがCURIOの音楽になると?
AJ そうですね。どちらかというと、僕は台本を作ってる感じなんですよ。「こういう舞台をやりますから」って台本を配って、セリフ回しはお任せで「こういうお話なのでお願いします」みたいな感じで、特に演出はしないですからね。で、そこに僕も出演します、みたいな。一応枠組みやルールみたいなものは作って、その中でいろんな動きをしてくれたらいいと。そして迷った時のためにこういうフレーズもありますよ、ぐらいの感じでガイドを作っておく。うん、台本っていうのが一番しっくりくるな。僕の考えたとおりにならなくてもいいし、ならなかったらならなかったで自分のプレイも変わるから、それはそれでいいんですよね。
──そこがバンドの面白さでもありますもんね。
AJ はい。ビックリするような感じになることも多いですし。
NOB それこそキーもですけどね。
AJ 1音半変わると、曲の雰囲気がガラッと変わりますしね。
BRITAIN 一番大事なところですからね、歌として聴いてもらう限りは。
──再結成後の楽曲を聴くと、NOBさんが歌うキーにすごく余裕の感じられるものが増えた気がしますが。
NOB ああ、それは確かに思いますね。90年代の曲は特にメロディのアップダウンがすごかったですから。
BRITAIN 限界に挑戦するような感じのね。
AJ あれも時代背景やと思うな。
──90年代ってカラオケ文化がヒットチャートに及ぼす影響というのも大きかったと思うんです。特にキーの高さで難易度を競ったり、そういう曲がヒットしたり。
NOB みんな高かったもん、あの頃は。
AJ 小室哲哉さんあたりはそうだったし。CURIOはデビューのときから佐久間正英さんにお世話になっていたんですけど、佐久間さんといえばそれこそJUDY AND MARYやGLAYですよね。特にGLAYのハイトーンはヤバかったな。あとラルク(L’Arc-en-Ciel)のhydeさんも歌がハンパないですからね。特にあの時期の大阪では、hydeさんとかT.M.Revolutionの西川貴教さんとかSOPHIAの松岡充さんとか、同世代にすごいボーカリストが多かったですから。ヴィジュアル系と言われてた人たちの歌のうまさを間近で観てると、ああいうアップダウンのあるメロディの曲を作ってアピールしてみたいなって思うんですよね。それが時代の流れでしたし、そういうのにモロに影響を受けたのはあると思います。
──でも今回のシングル三部作で聴ける楽曲はそういったところから少し離れて、演奏面での緩急の付け方がより大人の雰囲気になっていて。さらに歌の心地良さがより増していることもあって、90年代の楽曲よりも濃い印象を受けるんです。
NOB ああ、それはわかります。僕、「楽園」のデモを初めて聴いたときはビックリしましたもん。
AJ ボーカロイドが歌ってるやつね。しかも、もともとのアレンジはドラムンベースだし(笑)。
NOB どこか淡々とした感じで流れている世界観の中に、ああいう切なく感じさせる歌詞が乗っていて。「FOOT STEP」もそうでしたけど、聴いた瞬間に「これ歌いたい!」って思いました。
AJ 曲自体はCURIOの活動再開の話が挙がるもっと前に、ほぼ遊びで作ったものだし。そこで満足してたんですよね。今思うと、あのへんの曲が活動再開を考える布石になってる気もするなぁ。
「第4回:シングル三部作の意味(1)」に続く。